[お知らせのホーム]>[No.1699 2009年4月13日号]
勝ち残る店シリーズ−菓子生産業 有楽製菓(株)−日本の菓子生産は、一九九六年に若干増を記録した以外は一九九二年の二一一万トンをピークに減少が続いている。小売規模は微増であるが、中国を中心とした輸入菓子の普及や大手量販店のプライベートブランドの拡大により国内中小メーカーは苦境に立たされている。品質面から国産生産菓子を見直す傾向は消費者・流通ともあるが、長引く不況のためにメーカーは常に価格競争にさらされている。 嗜好食品であるため好不況の影響を基礎的な食品よりも受けやすい。消費者の嗜好の変化やファッション性などが商品の売れ行きを大きく左右するのも菓子の特徴である。したがって企業間の競争は厳しく、商品のライフサィクルは短い。 本稿のタイトルは「勝ち残る店」シリーズだが、長年の「美味しさへのこだわり」で、原料高騰の危機を乗り越えた菓子製造の事例を紹介したい。税抜き希望小売価格一個三〇円のいわゆる"駄菓子"が、発売一四年目にして空前のヒットとなった。 「ブラックサンダー」誕生「父はアイデイアマンでした」そう語るのは、河合志亮氏の娘であり、現在は常務取締役の加藤国江氏だ。河合志亮氏は、海外で特殊な機械を買い付けるのが好きで、機械の仕組みを活かした様々な菓子を開発した。その後、クランチチョコを棒状に加工した商品を開発し、これが「ブラックサンダー」に発展した。新たな設備投資をせず、現有機械の特徴を活かした商品開発力が有楽製菓の強さだ。 しかし、大手と違い派手な宣伝活動ができない中での新商品の営業は楽ではない。だが、コンビニの隆盛と低価格志向の時流を捉え、ジワジワと売れ始めた。一度は消えたコンビニから、売れ筋棚へ陳列オファーが来た。 不況や原料高を物ともしない有楽製菓の「ユニークな発想と技術」はどのように醸成されたのか。二〇〇七年に新社長に就任した河合伴治氏は、「ものづくりは人づくりとよく言われますが、私もそれを第一に考えています」と語っている。新社長に就任と同時に、常務取締役の加藤国江氏は、三工場一体となった組織作りのため、共通の人事ポリシー確立の任を与えられた。三工場のコミュニケーション強化のために、工場毎に月一回作製される壁新聞が登場した。そこには創業者や新社長の思いが綴られている。下戸の河合伴治社長が、酔いっぶれるまで社員とハシゴしたエピソードなどが社員によって語られている。社長の社員を思う気持ちが伝わる。二〇〇〇年代初頭に入り、成果主義の流れは行き詰まった。巷で成果主義の失敗が叫ばれ、同族企業による家族的経営の良さが見直されている昨今有楽製菓も例外ではない。 最後に世界的な景気の冷え込みが加速する中、製造業が派遣会社との契約を更新しない「派遣切り」の動きが広がっている。 しかし、二〇〇八年版『中小企業白書』で、日本的雇用慣行といわれた「終身雇用」や「年功序列型の賃金体系」と労働生産性との関係をみてみると、労働生産性の水準が高い企業では、終身雇用を前提とし、また、賃金体系について成果給よりも年功序列を重視している企業が多くなっている。さらに、「終身雇用」や「年功序列型の賃金体系」を重視している企業では正社員の定着率が高く、また労働生産性の水準が高い企業では低い企業に比べて正社員の定着率が高い傾向も確認できる。 中小企業にとって人材は「人財」であり、従業員はコストや経費ではない。 消費税実施20年「大増税計画撤回!全国いっせい宣伝行動」
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